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2009年07月09日

四国へんろ【127】 十夜ヶ橋と野球場

まず目指すは、別格霊場8番・十夜ヶ橋(とよがはし)。伊予大洲から3kmほどだが、最初の休憩地点としても良さそうだ。国道56号線をてくてく歩く。

しばらくして、十夜ヶ橋に着いた。時刻は6時過ぎ。この霊場は敷地も狭く、囲いもない。国道56号線に裸のままデ〜ンと面してあるような印象だった。

こんな早朝にもかかわらず、チラホラと参拝客の姿もあった。が、おへんろさんらしき者は、どうやら私一人だけ。
そして私もひと通りの参拝を終え、脇のベンチで小休止を入れた。少しして家族連れっぽいようなそうでもないようなよくわからない4人組がやってきて、本堂に参拝したあと、すぐ横の川にかかる橋の下に降りて行った。

そうそう、ココは十夜ヶ橋。お大師様が四国行脚のおり、この近辺に差しかかったときに日が暮れて、泊まる所もなく、川にかかる橋の下で野宿をされた場所なのだ。そのときお大師様が詠まれたという歌が残されている。

    行き悩む 浮世の人を 渡さずば

             一夜も十夜の 橋とおもほゆ

この歌の解説は長くなるので避けるが、この橋の下での一夜が十夜のように長く感じられたということから十夜ヶ橋の名がつけられたということである。

その4人組のあとについて、私も橋の下に降りた。そこにはお大師様の像が横になって休んでおられた。ふとんもちゃんとかけられている。その像のお大師様はホントに安らかで優しい表情をしていた。見ていて思わず心が和む。

お大師様、安らかにごゆっくりとお休みください。私は静かに手を合わせた。

その後まわりをグルっと見渡す。この橋の下はけっこう広い。おそらくテントも2つはじゅうぶん張れそうなぐらいあったように記憶している。橋の下だけに雨が降っても濡れる心配はない。野宿するにはもってこいの場所である。
お大師様といっしょに眠りながら一夜を過ごしたい。そんな野宿へんろさんも多いだろうなと思った。

4人組が去って行き、しばらくしてから私も橋の上に戻った。そして再び国道56号線に沿って歩き出す。

季節は春。初夏の手前とは言え、まだ春なのである。そして初めての春遍路ということで気分も良く、足の運びも快調だった。

やがて56号線を離れ、へんろ道は山道に入った。そしてまたアスファルト道に出てしばらくして、ヤーヤー、オーオーといった元気な掛け声が聞こえてきた。
何だろうと思っていると、前方に野球のユニフォームを着た高校球児、、いや中学球児だろうか、、まだまだ華奢な感じの少年が通り過ぎたのが見えた。こんなところに野球場があったのだ。

球場の横に来て、休憩がてらその懐かしい元気な声に耳を傾ける。中で練習しているらしい様子は見えなかったが、目を閉じて練習風景の様子を想像してみた。

野球かぁ、、、。大好きな野球、、、。野球やりたかったよなぁ、、、。

高校に入ったら絶対野球部に入ろう。そう思っていたのだが、入った高校には野球部がなかった。で、そのとき同級生に誘われて入ったのがハンドボール部だった。そしてそのままハンドにハマって大学でもハンドボールを続けた。大学には野球部はあったのだが・・・。

でもこのノックの音。球を受けるグラブの音。そして元気な掛け声。いいよなぁ。そう思っているうちに、再び数名の球児たちが、私の横を駆け抜けて、球場の中に入っていった。

どうしよう。やっぱりちょっとスタンドに入って見てみようか。いやしかし待てよ。こんなおへんろさんスタイルで入ったら、、、そりゃ浮くぜよなぁ、、、。う〜ん、残念だが、、、ここは先へ行くかぁ、、、。う〜ん、残念だ。

仕方なく歩を進めていく。そしてなだらかな坂道を下りきったところに町があった。そこが内子の町だった。



posted by こうへい at 01:06| Comment(4) | TrackBack(0) | 歩きへんろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大阪からとはいえ、ずいぶん早く到着しましたね。
完全に歩きに慣れた遍路さんは橋に差し掛かると杖を突かなくなるのを見ます。ここ十夜ヶ橋の逸話が元になっているのでしょう。
ズボンからワイシャツのすそをだらしなく出している若者を見ると日本も落ちるとこまで落ちたなあ、やっぱり日本は戦争に負けたという話はほんとうだったんだと力が抜けますが、球児を見ると夢を持ちます。
今上映中の映画「ルーキー」ではないですが素行の悪いグループにはグランドを貸さないからか、まじめな生活態度のようです。お遍路と同じく白いユニフォーム!お遍路に背番号はないが金剛が付いている!お大師様が付いている、いつも! 
ハンドボールは最近注目されるまで忘れていました。言葉巧みに言えばサッカーより文明的。というのは手が使えることこそ人間を動物界で最高地位に登らせた「手」段。ボールを制御しょうとすればおのずと使いたくなるのは当然。サッカーではゴールキーパー以外は使用は反則!!っておかしくない?
Posted by よし男 at 2009年07月10日 22:42
◆よし男様
この十夜ヶ橋の逸話は、なぜか私は以前からずっと知っていて、歩き始めの頃から橋の上では杖をつかないようにしてました。
よし男さんも野宿されるということですから、いずれあの橋の下でいかがですか? 夢の中にお大師様が現れるかもしれませんよ。

ハンドボールとサッカーでは、その歴史はもちろんサッカーのほうが古いです。そしてハンドボールももともとは、サッカーと同じ広さのグランドで同じ11人制でやってたんですよね。
今の7人制主体になったのは、第二次大戦後のことで、まだまだ歴史は浅いです。
ですから、ハンドボールが「手でやるサッカー」と言われても、まぁある意味仕方ないところがあります。悔しいですけどね。

ハンドボールを文明的とおっしゃってくれるのは、嬉しいですね。果たしてハンドがサッカー人口を追い越すときが来るでしょうか。
来たら、、、いいなぁ、、、。(夢夢夢)
Posted by こうへい at 2009年07月12日 00:38
大洲を付き切って夕方到着したのが十夜ヶ橋の永徳寺でした。通夜堂の案内があったので、一夜を過ごす気になりました。橋の下でムシロで野宿修行したい人にはゴザを貸してくれるそうです。しかしトイレの裏とは言え、布団や電灯もある畳の通夜堂は魅力的でした。通夜堂を利用する人は社務所に連絡し、トイレ掃除とか、布団干し、草むしりなどをしてくださいとのことで、迷わず草むしりをしました。ここはツツジが通夜堂の道路沿いに植えてあるのですが、雑草に負けそうだったので、日没前、かなり時間を掛けて根こそぎにしました。かなり見映えがよくなったはずです。遅れて通夜堂に来た若者は無言で通夜堂に入ったので、あとで「一夜を共にするのですから、声ぐらいかけてくださいよ。」と言っておきました。その後は反省したのか草むしりを手伝い、翌朝は4時起床したいとのことで一緒に起床しました。「4時起床に協力していただき、ありがとうございました。」とすなおな若者になっていました。こうなくちゃ!

朝8時ごろでしたか、この野球場そばを通過しました。松山商?と書いたユニフォームの球児とお互いに挨拶をしました。彼ら本当に元気です。規律正しい生活をすると、じつにカッコよく見えます。風光明媚な白鳥がすべる湖のある運動公園のようでした。
Posted by よし男 at 2010年06月02日 16:49
◆よし男様
そうですかぁ。十夜ヶ橋の通夜堂のことは気づきませんでした。でもよし男さんならてっきり橋の下でお大師さまと一夜を過ごされるものと思ってました。
その素直な若者も橋の下を遠慮した、、、というより、先客が何人かいて野宿できなかったのかもですね。

野球場、ヨカッタでしょ!今でもハッキリ覚えてますよ。あのノックの音、元気な掛け声、、、懐かしいなぁ・・・。
Posted by こうへい at 2010年06月04日 22:49
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