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2009年05月20日

四国へんろ【111】 永遠の謎

山道を再び上り始めて、文旦がそこら一帯に実る畑に戻ってきた。そしてゆっくりと周囲を見渡す。
この畑の向うに松尾峠へ続くへんろ道があるはずだ。この道を行けば必ず・・・。

 **********************************
  人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめた時に
  年老いていくのだと思います。
  この道を行けばどうなるものか。あやぶむなかれ。歩まずば道は無し。
  踏み出せばそのひと足が道となり、そのひと足が道となる。
  迷わず行けよ、行けばわかるさ。アリガトー!」
 **********************************

これは、プロレスラー・アントニオ猪木の引退スピーチでの言葉である。おそらく、このときの私は、この猪木の言葉に熱く心を打たれていたんじゃないかと思う。妙にギラギラした思いでそこに立っていたのだ。

ヨシ、行くぜ!。あやぶむなかれ。歩まずば道は無しだ。私はひとつの枝道に入っていった。

・・・・し、しかし、、、、、、やはり、行き止まった。そこは一番最初に行き止まったところと同じだった。何とか進めないかと思案するのだが、やはり無理のようだ。これはどう考えてもへんろ道じゃない。う〜ん、、、、、ヨシ、次だ、次!!

そうしながら、いくつも枝道を入っていくが結果は同じ行き止まり。やはりダメなのか・・・。
少しづつ燃える闘魂がくすぶってきていたが、畑のちょっと奥に上り坂が見えた。アレだ!。くすぶりかけた闘魂に再び火を放ち、私はその山道を上っていった。

   、、、、だが、、、、、

その先は行き止まりでは決してなかったのだが、山道は途中から完全に道らしい道ではなくなっていたのだ。

この道を行けばどうなるものか、、、、。
(どうなるものかって、きっと遭難するだろう。しかも季節は冬。真冬なのである。)

迷わず行けよ、行けばわかるさ、、、、。
(行ったら何がわかると言うのだ。行って遭難したらどうしてくれるんだ、猪木さんよ。)

このときの時刻をよく覚えていないのだが、まだ日は高く、うっそうとした山の中とは言え、それなりに明るかった。しかし今現在、遭難と隣り合わせにあることに恐怖心が徐々に高まってくる。

ふとうしろを振り返る。やはり戻るべきか。そして再び前を向き、また振り返る。このまま進めば、いま来ているこの道を見失うかもしれない。そうなったら、間違いなく遭難である。

よくよく考えた結果、やはりこれは危険だ、戻ろうと、少しづつ山道を下り始めた。そして畑のところまで下りて再度山道を見上げる。行けそうな気もするが・・・う〜ん。再び悩む。

この文旦の畑でいったいどれくらいの時間を費やしたのだろう。よく覚えていないが、少なくとも小一時間は出たり入ったりを繰り返していたように思う。

そしてようやくあきらめがついた私は、ゆっくりと山道を下り始めた。とにかくへんろ札を見つけるまで下っていこう。仕方がない。下っていこう。

意気消沈しながら、トボトボと歩いていく。しかしどう見てもここまでは一本道になっている。間違えるはずないのに・・・。間違っているはずがないのに・・・。

そして、これまで上ってきた道をけっこう下ってきていたときのことである。脇の木の枝にひとつの短冊がぶら下がっているのが目に入った。その短冊には、「南無大師遍照金剛」と書かれていたように記憶している。

あった!これだ!見つけたぞ!これぞへんろ道を示す道しるべじゃないか。、、、ということは、いま下ってきたこの道を上っていけばいいんだ!!。

とにかく、なんとかもとのへんろ道に辿り着いた私は、再び元気を振り絞って山道を上り始めた。それからは適度な間隔でへんろ札や短冊を目にしながら、順調に松尾峠へと近づいていく。

そして、やがて、、、着いた。   あぁ、、、、着いたのだ。   
松尾峠である。ふぅ〜と大きなため息をつく。そこには「此処より伊予の国」と書かれた大きな石碑が立っていた。ということは、これから先は愛媛県か、、、。

あぁしかし、やっとこれで長かった修行の道場(高知県)を終えることができたのだ。
ふと高知県に突入したときを思い出す。宍喰の町を過ぎ、長〜い水床トンネルを抜けたその瞬間に「高知県」「東洋町」という標識を目にして思わずガッツポーズ。

松尾峠ではガッツポーズするだけの元気もなかったけれど、いやしかし長かった。ホントに長かったなぁ。でも高知県は、厳しくも楽しい修行の道場であった。

しかしお大師様は、この修業の道場で最後の最後にドえらい修行の場を用意してくださっていたものだなと思った。まぁとにもかくにもヤレヤレである。

   −−−−−・−−−−−・−−−−−・−−−−−・−−−−−・−−−−−

このときの回想であるが、不思議に思ったことがあった。それは、私が山道を下っているとき、知らない間にもとのへんろ道に戻っていたということである。
迷ったときは、どこかに分かれ道があって、うっかりその脇道のほうへ入っていったはずである。であれば、戻っているときにその分かれ道となる地点に気づくはずであろう。

なのにそれに気づかなかった。おかしい。当時、かなりうなだれてボンヤリ歩いていたことには違いないのだが、それから再び上り始めてからも、迷い込んだはずの分かれ道らしい分かれ道にもあまり記憶がないのである。

よほど疲れていたのかもしれないが、これは今だもって解明できていない永遠の謎である。





posted by こうへい at 02:30| Comment(6) | TrackBack(0) | 歩きへんろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
同じ道でも逆の向きから見ると違って見えるのではないでしょうか?
そうでなくても道しるべのひも?それとも風で飛ばされ引っ掛かっている布切
れ?と判断できないことがあります。同じ樹が多い果樹園では目印になるもの
がないと、道なき道になるのでしょう。

このような迷路にいると、人間がネズミの知能を調べるために作る迷路のように、
自分の知能を試している目に、どこからか観察されているような気になり
ます。 サッカーの試合も観客・テレビカメラの高い位置から見ると、取るべ
きコースが分かりやすいが、毎秒激変する動く迷路の真っ只中にいる選手、 
また手探りで日々の生活している人間には分かりにくです。
正月に通る者もいない迷路で脱出できないでしまうと、正月休み明けに地元の
人が作業を開始するために入った果樹園隅に腐乱が始まり眼を背けたくなる丸
い文旦の大玉が・・・ 
(えっ? 勘違いした?) いずれは私の番です。気をつけます。

Posted by よし男 at 2009年05月20日 21:44
◆よし男様
>正月に通る者もいない迷路で脱出できないでしまうと、正月休み明けに地元の
人が作業を開始するために入った果樹園隅に腐乱が始まり眼を背けたくなる丸
い文旦の大玉が・・・ 

アハハハ、ですからよし男さん、妄想し過ぎですって、、、。(笑)
まぁこのときはなんとか無事だったんですけど、ひとつ間違えたらエライことになるところでした。

布切れというか短冊は、木の枝に引っかかっていたんじゃなくて、くくり付けてありましたから、道しるべとして間違いなかったと思います。
確かに同じ道でも逆から見るとまったく違って見えたりするんでしょうね。
私も今度またいつか四国を歩くことがあったら、そのときは逆打ちしてみようかなと思っています。

Posted by こうへい at 2009年05月20日 22:21
あっ、それそれ! 逆打ちが順打ちより難しい理由は、へんろ道印が順打ち用に
設けてあるためが一つの理由でしょう。
Posted by よし男 at 2009年05月20日 22:50
◆よし男様
なんでも逆打ちは順打ちの3倍の功徳が得られると言われているそうですね。
逆打ちかぁ、、、。私もそのときが来るのを楽しみにしております。
Posted by こうへい at 2009年05月21日 21:46
ワタシね、たしかにこれ読んだのよ。読んでたはずなのに、まんまと同じ目に遭いました。
文旦山、あれへ誘う看板の傾きが微妙なのよ。あれが悪い!絶対悪い!
あの文旦山のせいで松尾峠へさしかかるまえに精根尽き果てたんです。

正直言うと、「やーいやーい迷ってやんのー」とかほくそえみつつ読んだのかもしれません。だからバチあたったんかもね。

以後気をつけまする。
Posted by はりQ at 2010年10月15日 16:53
◆はりQ様
何のことかと思いきや、醤油ぅことやったんですな。
やーいやーい迷ってやんのー! やーいやーい!

、、っとと、イカンイカン、またバチが、、、。

けど、やっぱり微妙な看板があったんですね。
私はそれにまったく気づかずに道を間違え、またちゃんと戻った。う〜ん、やっぱり謎やなぁ・・・。

ハァ〜、はよブログ再開せな・・・(焦)
Posted by こうへい at 2010年10月16日 21:20
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