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2010年12月21日

四国へんろ【191】 結願へのカウントダウン Final

女体山へ向け、てくてく歩き出す。やがて道は右方向へカーブし、その先に左へ入るへんろ道があった。ここでもなにやら土木工事のようなことがされていて、ユンボがゴニャゴニャと動いていた。このとき警備員さんらしきは見当たらなかったのだが、工事関係者のお兄さんだろうか、そのお兄さんが「こちらへどうぞ」と丁寧に私をへんろ道のほうへ導いてくれた。

少しして川沿いの狭いへんろ道に入る。ここを同行二人の地図では、車道をそのまま進んでいくようになっているが、私はそれに並行して川沿いに続くこのへんろ道を選んだ。

川の水もきれいで空気も澄んでいる。汗ばむ身体に吹いてくる風が心地よい。このときはホントに気持ちよかった。

左手にお社のようなものが見えた。おそらく多和神社だろうか。しばらくして川沿いの気持ちよい道が途切れ、車道のへんろ道に出た。

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posted by こうへい at 00:50| Comment(12) | TrackBack(0) | 歩きへんろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

故 宮崎建樹様 どうぞ安らかに

2010年11月8日(月)に愛媛県松山市内のご自宅を車で出られたまま行方不明となっていたへんろみち保存協力会代表 宮崎建樹氏が、2010年12月10日午前10時ごろ、松山市に隣接する愛媛県東温(とうおん)市内の山中で遺体となって発見されました。享年75歳。警察では、宮崎様が山道であやまって滑落したとみて調べているようです。

宮崎様は、歩きへんろのための地図も道しるべもなかった1980年代から、分かりにくい場所に道しるべを立てたり、草刈りをしたりといったへんろ道の整備に取り組まれ、またこれまでに立てた道しるべは2千本を超え、次の札所までの距離を示すへんろ石なども100基ほど立てられたとのこと。その活動は、とても素晴らしいの一言では表せられない大偉業であると言えます。

この私も去る2006年6月より区切り打ちでの歩きへんろを始め、足かけ2年をかけて結願するに至ることができました。その間、宮崎様が著された「四国遍路ひとり歩き同行二人」の地図と、道中で何度も目にしたあの赤い道しるべには本当にお世話になりました。助けられました。その功績と貢献に深謝し、心から深甚なる敬意を表するものであります。

宮崎様の最後を思いますと、万感胸に迫るものがあり、誠に痛恨と哀惜の念に堪えません。しかし生あるものは必ず死あるところに向かうものであります。これはこの世に生を受けた誰もが避けることのできない必然の理であって、私はこの現実を悲しんでばかりいるのではなく、静粛に受け止めたいと思います。

宮崎様の功績は、今後何十年、何百年と永遠に語り継がれていくことでしょう。私の人生も宮崎様のような人から愛され感謝され、敬意を表されるようなものでありたいと、またそうあれるように努めていきたいと心新たに思うものであります。

宮崎様、どうぞ安らかにお眠り下さい。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
posted by こうへい at 16:24| Comment(13) | TrackBack(0) | 歩きへんろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月02日

四国へんろ【190】 結願へのカウントダウン その4

へんろ道となる車道はなだらかな登り坂。その坂道をとぼとぼ歩く。特にキツイ坂ではなかったのだが、その一歩一歩を踏み出すごとにエネルギーが失われていく。そんな感じがしたものだった。とにかく腹ペコなのだ。早く何か食べたい。

やがて大きなT字路に差し掛かる。左手を見ると道の駅ながおがあった。あぁやっと来たか。これで飯が食えるぞ。

T字路を左折すると、左手に前山おへんろ交流サロンがあった。ここに訪れると、歩きへんろさんに限って「お遍路大使任命書」と「バッジ」がいただけると聞いていた。それも楽しみではあったのだが、このときはとにかく腹が減っていてそれどころではなかった。

まずはメシだ。メシを食おう。

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posted by こうへい at 00:18| Comment(6) | TrackBack(0) | 歩きへんろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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